那須に暮らし始めた縁と「那須時間」について
那須に暮らしていると、度々「那須時間」という言葉を聞きます。何となく優雅な響きですが、実際は「那須の人はちょっと時間にルーズ」・・・ということを表しています。そして、割とみんな、それを許しちゃう。
約束の人が来ない 〜「那須時間だから、そろそろ来るでしょ(・・・結局、来ない)」
時間通りに会議が始まらない 〜「那須時間だから、しょうがないね」
そんな感じ。
23年那須に住んで「那須時間」にも慣れっこになりました。あんまりルーズなのは困るけど、良く言えば「少し余裕を持って暮らしましょ」ということ。
この土地を決めたのは、地下鉄サリン事件の日
この機会に、那須に暮らし始めた理由を少し。
24年前、夫が病気をしました。ホントにいつも病気になる人です。この時は大病ということではなかったのですが5ヶ月も入院生活を送り、その間、暇に任せていろんな本や雑誌を読みました。その中にそのころ流行り始めていた「田舎暮らし」ものがあって、「いいね、田舎暮らし」となった訳です。
大きな犬が飼いたい、地面に住んで家庭菜園をやりたい、庭に山小屋風のアトリエを造ろう・・・何せ暇だったので妄想はぐんぐん膨らみ、東京に通える一番遠い田舎に引っ越しちゃおう!ということになりました。
そして、伊豆や長野も考えましたが、東京の仕事場にドア・ツー・ドアで2時間半、新幹線の駅もあるし、高速道路も便利な那須が良さそうということになったのです。
今住んでいる土地は住宅地として区画されたところですが、雑木林に囲まれ自然豊か。国道4号線よりも南なので雪も少なく暮らしやすい場所です。那須に越そうと考えてから半年くらいかけていろいろな土地を見て、「これだな」と思える場所に出合いました。
土地の購入を決めるのに、もう一度そこへ行って、見て、最終的に決断しようと思い、ある朝7時ごろ家を出て、地下鉄半蔵門線を永田町〜赤坂見附で丸ノ内線に乗り換えて東京駅へ向かいました。夫は仕事で行かれず、最終決定権を任された私ひとりで。
東京駅から新幹線で那須塩原駅に着き、駅前でタクシーに乗って行き先を告げました。タクシーの中では小さい音でラジオが付いていて、何だか騒がしいアナウンサーの声がしていました。
「東京から?」と、タクシーの運転手さん。
「はい」と私。
運転手さん「東京で毒撒かれたってね」
私「え、何ですか?」
運転手さん「なんか、どっかの駅で毒撒かれたってラジオで言ってるよ」
その時、運転手さんが本当にそのような話し方をしたかは定かではありません。他にもいろいろ話しかけられたと思うのですが、言葉がよく聞き取れなかったし(今思えば、この運転手さんは栃木弁バリバリだった)、何か事件が起きたと聞いても「へ〜、そうなんだ」くらいにしか思いませんでした。それよりも、ウチにとって結構な大金を払って購入しようとする土地を最終的に見て決断しなくちゃという思いが、その時は強かったのだと思います。
それに当時は携帯電話というものはなかったので、「後で駅に戻って来た時、ダンナに電話すればいいや」くらいにしか思わなかったのです。
雑木林の土地に着いて、1時間後に迎えに来て欲しいと運転手さんに頼んで私はタクシーを降りました。
まだ冬枯れの3月の雑木林。地面は笹と落ち葉に覆われていましたが、暖かく陽当たりの良い土地です。ガサガサと踏み込んで歩き回ると、ところどころに背丈より少し低いくらいのヤマツツジの株がいくつもあって、冬を越えた小さな固いツボミをたくさん付けていました。「ヤマツツジっていつ咲くのかな。家を建てるのに、なるべく木を切らないようにしたいな・・・」などと思いながら居心地の良さを感じました。「やっぱり、ここにしよう」これから暮らす場所を決めたのでした。
帰りのタクシーに乗って運転手さんに「さっきの毒撒かれたって、どうなったんですか?」と聞いたところ、
運転手さん「なんか、地下鉄で毒ガスかなんかだって。たくさん人が倒れてるらしいよ」
私「え〜!そうなんですか?」
何か大変なことが起ってるのかな?と、ようやく意識はそちらの方へ。
運転手さんがラジオの音を大きくしてくれると、「霞ヶ関」とか「丸ノ内線」とか、「人が救護されているようです」とか、生々しいアナウンサーの声が響いて来ました。
私「朝私も地下鉄に乗って来たんですけど、その後夫が乗ったはずなんですよ」
運転手さん「このまま新幹線乗んの? 早く帰ったがいいよ」
さっきまで暖かい陽当たりの良い土地にいて感じていたホンワカした気持ちが一気にザワザワした嫌な感じに変わり、どこへも寄らず駅へ直行。
駅から夫の事務所へ電話したけど繋がらず。新幹線に乗って、新幹線の中の公衆電話(当時はあったのです)からも電話したけど繋がらす。「大丈夫??何かあったのか・・・」
結局、東京駅に着いて事務所にいる夫と電話が繋がりました。「うん、大丈夫だった」と夫。
私は事件の起る少し前に霞ヶ関を通る丸ノ内線に乗っていました。夫も頻繁に丸ノ内線や千代田線、日比谷線を利用していました。
東京で働いている人の多くが利用している地下鉄は、路線が複雑で本数も多い。考えてみれば、誰がこの事件に遭遇してもおかしくありません。あの日、いつもと変わらない一日だった人もいれば、人生を掛けるような重要な一日だった人もたくさんいるはず。事件に遭ってしまった人も、遭わなかった人も・・・。
あれから23年。あの理不尽極まりない事件の日が、東京を離れて暮らす場所を決めるという、私たちにとってもの凄く重要なタイミングであったということに何か言葉にならないものを感じます。
東京での仕事を続けるつもりで、東京に通える一番遠い田舎に引っ越そう。そう考えて何の縁もゆかりもない那須に移り住んで来ました。ちょっと来て見たら居心地が良かった、たったそれだけ。
あれから23年。今では人生で一番長く暮らしている場所になっています。
「那須時間」那須特有の時間の流れ
さて、「那須時間」の話しです。
那須に来て体験したことがいろいろあります。最初は軽いカルチャーショックでした。
テレビのアンテナを付けてくださいと電気屋さんに電話で依頼。
電気屋さん「わかりました!伺います〜」と電話終了。あれ、いつくるんだろう、と思って再度電話。
電気屋さん「あ、じゃ、明後日行きます」
私「何時ごろですか?」
電気屋さん「じゃ、午前中に行きます」
私「はい、お願いします」
当日、いくら待っても電気屋さんは来ない。午前中だったよな、午後って言ったのかな・・・夕方電話
私「今日じゃなかったでしたっけ?」
電気屋さん「あー、雨降ってたんで。小雨でも降ってると屋根に上がれないんで」
私「あ、そうなんですか」(電話くらいして来てよ!)
電気屋さん「また、いい時伺います」
私「・・・」(いい時って、いつ??)
仕事の依頼を受け、打ち合わせに行った先の会社で。
事務員さん「すいません、社長まだ帰ってないんですよ」
私「では、少し待たせていただきます」(約束時間の5分前に着いたんだけど、ちょっと早かったのかも)
事務員さん「お茶、どうぞ。お菓子も、どうぞよばれてください」
私「ありがとうございます」(よばれて?召し上がれってことだよね)
30分待っても社長さん帰って来ず・・・
私「あの、社長、そろそろお戻りになりますか」
事務員さん「あ、電話してみましょうか?」
私「お願いします」
事務員さん「(電話して)○○ですが、ウチの社長いますか?あ、社長、Hinataさん来てますけど。あ、そうですか。(私に)今から出ますって。あと20分くらいで来ると思います、すいませんね〜」
私「・・・」(え〜!)
他にもいろいろ。
どれも人に話すと、「あぁ、それは那須時間だから」と言われました。
最初はとても気になりました。
待ち合わせの時間に行ってもいないかも・・・わざと遅れていくのも変だし・・・
相手が時間に遅れるか・・・もしかしたら来ないかも・・・
そこで、考えてみました。
電気屋さんの場合、「雨降ったら、出来ない作業もある」と理解。
会社の社長さんの場合、「出掛けた先で話しに花が咲き、帰れなくなった」と理解。
どちらも電話一本すれば済む話しだけど、みんな昔からこの土地に暮らして、ここに流れる時間の中で身に付いている技なんだな〜と。だから、みんな許しちゃう。
そう考えると、相手の性格やいつもの言動によって対処できるようになっていきました。イライラしないで、こちらから早めに連絡して念を押すとか、来ない場合はこうするといった手を打つとか。まぁ、慣れたというのも大きいですけど。
今でも時間に遅れるとか、約束をスッポカされることは嫌ですよ。
なので、自分自身は早めに行動、必ず連絡をする、と決めています^^
縁あって那須に暮らしています。
野菜やお米は美味しいし、庭には鳥がいっぱい来るし、リスやウサギも見ます。
楽しい那須暮らし、続いてます。